歌川広重(安藤広重)について

   

広重の東海道五十三次

幕府の使節一行に随行した際に描いたスケッチをもとにつくられた浮世絵「東海道五十三次」

東海道五十三次は、江戸(幕府)と京都(朝廷)を結ぶ幹線道路として徳川家康によってつくられたものですが、「五十三」という数字は「53の宿場町」があったからではなく、家康公が信仰していた「華厳宗」の説話に従って名づけ、定められたものです。

安藤広重は寛政九年(1797年)江戸に誕生。幼くして両親を亡くしています。画業を志したのが15歳で、17歳の時、師匠・歌川豊広から「広重」の画号を授かりました。本名が安藤、画号が歌川広重ということです。

広重は36歳の時、幕府の「八朔御馬献上(はっさくぎょばけんじょう)」に随行し、初めて「東海道五十三次」を京に上りました。その道中に各宿場の風景を写生したものをもとに、翌天保四年(1833年)に浮世絵『東海道五十三次』を竹内保永堂から出版。中でも、庄野宿の『白雨』、蒲原宿の『夜之雪」は浮世絵の風景画の最高傑作と高い評価を受け、一躍、人気浮世絵師の第一人者となりました。

 

広重の傑作「東海道五十三次」の新しい価値

広重が浮世絵の中に、大名・武土・町人から童子・酌婦とさまざまな人間や雨・雪・風・山・川・海などの自然を描いている理由は、まさに「東海道五十三次」の由来となった善財童子の「菩薩旅」を描いているからにほかなりません。なぜか今まであまり指摘されてこなかったことですが、ここに、広重の「東海週五十三次」の新しい見どころと価値があるのではないでしょうか。善財童子の「菩薩旅」は、「菩薩を求める旅に年令はない」「かわいい子には旅をさせよ」といった格言にも通じ、現代人の生き方にもヒントを与えてくれる話です。

 

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