なぜ五拾三次? 最大の謎に対する回答は華厳経にあり

      2016/04/06

鳴海宿 丹下町常夜灯

五十三という数字には明確な意味があった
家康公の仏教への信仰心から生まれた国家事業

株式会社美術出版社 代表 吉田一忠

東海道五拾三次の原点は「華厳経」の「入法界品」にあり

私は東海道五拾三次の原点は、奈良東大寺の経典「華厳経(けごんきょう)」の「入法界品(にゅうほうかいぼん)」にあると思います。そこには「文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の教えをうけた善財童子(ぜんざいどうじ)が、53人の善知識(高徳の僧)を求めてさとりの旅に出て、53人目に普賢菩薩(ふげんぼさつ)と出会った後に自ら菩薩になった」と記されているからです。

*華厳経は華厳宗の法典。華厳宗は日本仏教の13の宗派の一つで、東大寺が本山です。
*出典:『新佛教辞典』(中村元監修/誠信書房)、『さとりへの遍歴(上・下)』(華厳経入法界/中央公論社)

 

仏教に造詣の深い家康ならではの発想だった

東海道五拾三次は、仏教に造詣の深かった家康ならではの発想から生まれた国家事業でした。なぜ“五拾三次”だったのかという最大の謎に対する答は、「華厳経」「善財童子のさとりの旅」「53人の善知識」という言葉が示しています。

 

幕府の八朔御馬献上に随行して京に上った歌川広重

歌川広重は天保3年(1832)、幕府の八朔御馬献上(はっさくぎょばけんじょう)に随行し、初めて東海道を旅して京に上ります。その道中のスケッチをもとに、翌年「東海道五拾三次」を発表。たちまち浮世絵の風景画の傑作と評判を呼びました。

*八朔御馬献上とは、幕府の恒例行事の一つで、旧暦の8月1日、江戸から都への献上物として特別に選ばれた駿馬を運んでいた行事のことです。

 

善財童子がさとりを求めて53人の善知識と出会う旅の道程

東海道五拾三次には全体を通して様々な職業の人間が描かれていますが、そのわけは、善財童子がさとりを求めて53人の善知識と出会う旅を描いているためと考えるのが自然です。今日では、広重の浮世絵は江戸時代の社会、風俗、自然を今に伝える貴重な文化資料になっています。

 

 

 - 東海道五十三次情報, 東海道五十三次とは